自由とは何か?と、哲学する水瓶座

「自由」ってなんだろう?と考えている。

水瓶座のキーワードに、「自由」や「型破り」というのがある。
そして守護星は元々が土星(現在は天王星)
ここがずっと腑に落ちなくてね。

土星は社会のルールなど枠組みを作る。
長期的に現実的に安定させていくパワーである。
これと自由な水瓶座???謎だった。

でもね最近、わかってきたことがある。
「型破り」は型があるから、破れるんだよ。
それには、型をずっと作り続けてきたからこそ
破る力を養うことができる。

だからこそ、水瓶座は新しい希望を、現実的に計画することができるんだね。
自由って、夢を見てふわふわして、彷徨うようなもんじゃない。
土星と水瓶座の組み合わせは、自由とは何かを哲学させてくれる。
なんて面白いんだろう。

そして型破りは、破ろうと思って破るのではないんだ。
集中して取り組んでいたら、いつの間にか型破りになってた。
きっとこうなんだと思う。

師の完全コピーなんて、できるわけがない。
そうなりたい!と憧れるけれど、そうはなれない。
忠実にミラーニューロンをして、基礎を積み重ねていても
それを取り組むときは、自分自身でしかできない。

そこには確実に自身のエッセンスと混じり合う。
気が付いたら、オリジナルになってたって感じだと思う。
とはいえオリジナルも、先人の積み重ねたものをさせていただいているだけであり、その本質は変わりはない。
ただ表現が違うだけ←ここがオリジナルと言えるんだよね。
ど本物な方は表現が違うだけで、皆言ってることは同じだものね。

だから最初からオリジナルと言っても、土台も作っていないうちにしようとしても、残念ながらハリボテになる。
ハリボテはハリボテで、見栄えが良いし一般的に受けるから、それはそれで良い。
盛り上がる感じは祭りみたいで楽しいものね。(収入になるし)

でも本物を観る眼を持った人には、通用しない。

ハリボテと本物と、両方を経験したうえで、自分でどちらが良いか選ぶのがいいと思う。
(本物を経験しちゃったら、ハリボテには戻れないと思うけどね←これ私だけのセンスかな?)

選ぶことができるまで、自分を高めていくこと
ここでようやく本当に自由なんだ。
一定期間は基礎をやり続ける時があるのは、本当に大切だと思う。
自由に生きるには、しっかりした自分の土台がないとできないからね。

 

補足:水瓶座が変人と言われるのは、型破りをしようと思ってやるから、おかしなことになるんだと思う。
本物をやり続けて、気が付いたら型破りになってたというのが、ピッカピカ自由人の水瓶座になれるんだ。
と太陽、金星星座、水瓶座の私の言い分(笑)

そして水瓶座の天体を持ってなくとも、12星座のエッセンスは全員にあるからね。

天秤座木星入りを機に天秤を手放しました

前回の覚醒メモ③の中で書いた、見える世界が変わった話。
私以前は、一点集中して世界を見ていたんですよね。
それって結局、世界を切り取りバラバラに見ていたことですよね。

そして、全体がそのまま見えるようになりました。
これは分離の世界観から、全体性の世界観へ移ったことということです。
これは観の目と言うそうですね。
相手が行動に移す前に、それを感じとる➾結果でなくて、状態(原因)を見ているのだと思います。

現実的に見え方が変わると、こころのあり方も変わります。
站椿(たんとう)における目線の使い方で、「ジャッジをしない事実をそのままに見る」俯瞰目線を育てるというものがあります。
まさにこの状態となっています。
ジャッジをしないこと、これはこの2年半でかなり変わってきていたのですが、そうであろうとしていたんです。

そうであろうとすること
そうである
これはかなり違いますね。

またこれにより平和な気持ちが、勝手に(笑)出てきちゃっているのですが
平和であろうとすること
平和である
これも違いますね。

「そうであろう」とすることは、悪いことではありませんが
「そうでなければならない」となり、苦しくなることもありますね。
状態、あり方(原因)により、結果は勝手にやってくるものです

それで、ジャッジをしないからといって、なんでもOKとは違うんですね。
区別はします。
違うことを非難するのでなく、違うことを受けとめるといった感じです。
はい、天秤を手放したようです。

これにより、感情が動かないかといったら、ばっちり動きます。
いや以前よりストレートに感じてしまいますね。
今まで思っていたよりも、感情に蓋をしていたようです。
どんな感情が出てきても、そこにジャッジが入らないということですね。

そしてこれは、先日の魚座の満月と、今の水星逆行中の作用かもしれませんが
その感情が動いたことから、その元のこころの傷にたどり着いていくのです。
(あえてトラウマという言葉は使いません)

それは子供の頃の記憶です。
ああ私この時のこれで傷ついて、こういう反応を自動でするようになっていたんだなと
自分のこころのクセ、それによる反応や行動のクセに気が付いています。

浄化と修復作用が働いていて、これによりまた生まれ直しをしているみたいです。

これは辛い作業ではなく、あったかい気持ちで取り組んでいます。
なんだろうね。
傷ついたことも結局は、愛なんだなって思っちゃうのです。
きっとどんな感情も、元は愛から派生しているのでしょうね。

「愛されたい」
「愛したい」
そんな想いなのでしょうね。

この浄化と修復作用は、22日まで続きそうです。
22日は秋分の日。
昼夜の差がほぼ等しくなり
太陽は天秤座入りをし、水星は順行に戻ります。

天秤を手放すこと
この一年間、木星が天秤座に滞在中は、大切なことかもしれません。
相手と何か(お金とか期待とか)を測っていたら、いろいろ大変なことになります。
自分の期待通りに応えてくれる相手など、妄想以外に存在しませんからね。

違いがあるから、予想外な化学反応が起こって楽しいです。
さてこの先、化学反応から何が生まれるのでしょうか。

覚醒メモ②~質的転換

前回の覚醒メモ①の続きです。

魂が身体という社(やしろ)に納まったといえども
それをしっかり定着させ、括り付ける必要はありました。
これでやめてしまったら、快苦、ポジティブとネガティブで揺れ動く二元の世界へと、後退するであろうことは感じていました。
自分がバラバラな状態に「もう二度と戻りたくない」という気持ちも強かったのです。

何度も何度も站椿により、こころと身体を揃え
自身を内観していく作業は、一見地味で辛い修行に感じるかもしれません。
しかしこのプロセスでの確かな成長を味わい、「結果的に」多くの収穫がありました。
(このあたりは今までブログに書いてきましたので割愛します)

今までの取り組みは、覚醒に至るまでの基礎を固めるようなものだったと思います。

それはエネルギーの量を増やし、質を高め、燃焼を良くし、
エネルギーの器である、身体を強くすることでした。
やっと質的転換というのは、こういうことだったのか!という感じです。

私はスピリチュアルにどっぷりだったころ、覚醒すること、無になること、サイキック的な能力をのばすことを目的としていたんですよね。
まあ「欲」ってやつですよね。
その欲には、いろんなものが吸い寄せられてきますからね。
そして、エネルギー枯渇状態に陥ったわけです。

この2年半あまりの私のプロセスは、「安全に」覚醒にいたるものであると思います。
そして、誰にでもできることです。(意志さえあれば)
特に覚醒を欲していたわけではなく、ただ集中して取り組んでいたら「結果的に」なったものです。
妄想の入り込む余地のない、現実的に体感が強く伴うものです。

あれだけ怖がりシャットアウトしていた、スピリチュアルの世界はもう大丈夫です。
魂がどっかりと自分の中心にあるから。
しっかりと大地と接続されているから。
自分の目で判断できるから。

闇の部分を見てきたし経験もしましたが、何にでも光と闇の部分はあるものです。
良い悪いもないと、今では思います。
違いを分かったうえで、自分が選択し活かしていくかが大切なんですよね。

そして大事なことは、他者から、どこか崇高な存在から、もらった答えではないということ
全て自分の中から気付き、発見し、答えを得たものであることです。


また覚醒したからこれで終わりではなく、ここから私の本番が始まるのだろうと感じています。
螺旋のように上昇していくものですからね。

そして、脳の体感に伴って、もうひとつあります。
それは、見える世界が変わったことです。
視界が変わっちゃいました。

それについてはまた続きます。