さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ

「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」
レイモンド・チャンドラー著 ロンググッドバイより

これが最後になるかもしれない。
私はそういうつもりで人に会う。
もちろん一緒に住む夫に対してもそうだ。

また会えるとは限らない。

これだけの多くの人がいる中で
何度も出会えるって奇跡だと思う。
そしてさらに同じ時を過ごし
気持ちを分け合うことは
さらに奇跡だ。

だからタテマエとか
自分を良く見せようとか

相手をどうにかしようとか
ただ孤独を埋めるためとか
自分がどう見られるかとか
そんなどうでもいいことに
時間を使うつもりはない。

良く見られたら、もちろんうれしいけどね(笑)

もう会えないかもしれないんだ。
だから相手とは、真剣に話さなくちゃいけないんだ。

昨年末から、「このままじゃ間に合わない」
さらに立春頃からは「命には限りがある。集中!」
3月9日以降は、「もっと集中!真剣に!」
こんな感じの標語的なものがやってくる。

だからもっと整理して、集中する必要がある。
人と会うことも、もっと大切にする必要がある。
私たちはついつい、惰性になりがちだ。
それはまた次があるからという
思い込みがあるせいだと思う。

大切な人はもっと大切に
そして自分の時間も
もっと大切にする必要がある。

2年前くらいまでは、友人の永遠に続くかもしれないグチを
2時間以上聞いているような状態だった。
そういった時間どろぼうをさせてはいけないんだ。
自分の時間は自分で守らないとね。

きちんと今やるべきことに集中したいからと
事情を話せば、大体の人は分かってくれる。
分からない人は離れていく。
それはそれで仕方が無い。

静岡に住んでいた時は
ちょうど災害が多い時期だった。
震災もあったし、台風もあった。
そのたびに夫は仕事上、危険な場所に行く。
高波にさらわれるかもしれない
強風に吹き飛ばされるかもしれない
そんな場所ばかりに最前線で行く。

突然、何があるかわからない。
夫は無事帰ってくるかわからない。

災害が起ころうとも
知らない土地で
一人で何とかやるしかない。

だから一緒にいつもいる人ほど
惰性にならずに
きちんと付き合いたいと思う。

それにうちは転勤族というのもある。
今の土地にそう長くはいられない。
だからよけいに、今関わっている人たちとの
関係性は大事にしたいと思う。

この春は引っ越しが無かったので
この伊那谷にいるのは、たぶんあと一年。
もっと集中していきます。

暑苦しかったらごめんなさい。
でも表現の仕方は、水瓶座だから
かなりさっぱり加減を装ってると思うの。

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