肺の毒出しスッキリ

今朝は大号泣して目が覚めました。

あ~びっくりした。

とても悲しい夢を見て、実際に泣いていました。

昔々とても大好きだった人に、大勢の前で罵倒されて、

悲しいのに我慢して何でもないふりをしている夢。

それは夢だったけれど、これに近いことはあったなあ。

私は前提として、自分の好きな人には罵倒されるのが普通というものが前はあった。

だからそんな人を選んできてしまったのかもしれない。

相手の理想に合わせないといけないし、自分の悪い部分は直さなければいけない。

そんな風だったから、20代の頃の恋愛はとても苦しいものでした。

30代に入った頃に夫に出会い、それまでの恋愛とは一変しました。

一つには自分の気持ちを感情的にならずに、きちんと伝えようとしたことが良かったのだと思う。

自分を出さずに我慢することをやめたんです。

それに夫は、私が太っていようが痩せていようが、

すっぴんでも化粧していても、

だらだらしていてもシャキンとしていても、

何でも気にしない人。

私が私らしくのびのびとしていることが、一番良いのだそう。

人といてこんなに楽チンなのは初めてのことでした。

家庭で楽チンだと、外で人と接っしている時も楽チンになるんだね。

おっと話がそれましたが、今朝の号泣でものすごーくスッキリしたのです。

今は秋なので、肺と大腸の毒出しの季節。

感情では悲しみに対応しています。

秋になるとセンチメンタルな気分になりますものね。

今朝の大号泣は、こころの毒出しだったのかなと思います。

こころに溜まっていた毒が、涙で流れていったみたいです。

身体の冷えも怖いけれど、もっと恐ろしいのはこころの冷え。

しっかり下半身だけ温めて、運動をして気血を循環させていきましょう。

創る生み出す

何かを創ることはとても好き。

絵を描きたいとか手作りしたいとか、けっこう昔から欲求はあったがあまりできてはいなかった。

その創りたい欲求が高まったのは、2年半前に伊那谷に引っ越してからで、

不思議とクラフト系の方たちとの出会いが多かった。

その出会いのおかげで、いろんな手作りの技術を教えてもらうことができた。

現在も手作り雑貨教室に月一回で行っているけれど、次第に自分の作りたいものが絞れてきた。

羊毛フェルトとパステルアートは、私の中ではぴったりな感じ。

ここ最近はコンスタントに絵を描いたり、マスコットをを作ったりしているけれど、

前はこんなに短い期間ですることはできなかった。

一から創りだすこと、頭の中でイメージをして実際に形にして出すことは、けっこう体力を使う。

何か一つ創作しただけで、しばらくは何も手につかないくらい疲れてしまう。

なので前は創りたくてもあまりできなかった。

良い先生に出会えたおかげで、気功ボディワークをして少しずつ体力がついてきて、

春からは早起きを習慣にしたので、ボディワークが一時間くらいできるようになった。

そのおかげでこの半年足らずで、足腰の強さと体力がとてもついた。

まあ前があまりにも体力が無さ過ぎたので、普通程度になったくらいだけれど、

しょっちゅう片頭痛で寝込んでいた頃に比べると、本当に元気になったと思う。

それで元気になったから、創作活動も集中して長時間できるようになったし、

疲れなくなってきているので、次のやるべきことに移ることができる。

以前は一個作ると数ヶ月放置だったのに、最近は一週間にひとつのペースでできている。

やっぱり何事も体力が無いとだめですね。

体が資本とはよく聞くけれど、本当にそう。

今が一番体力があるし元気かも。

年齢のせいで疲れやすいって、実は言い訳だったのねって思う。

きちんと身体をケアすること、これが根底に無いと何事も長続きしないと実感している。

動物つながりで

昨日のブログで犬のことを書いたけれど、

私が動物を特別な存在として接するようになったのは、いつからだろう?と思い起こしてみた。

物心ついた時にはすでに家には何かしらの動物がいた。

それなりに可愛がってはいたが、特別な存在というほどではなかった。

緑色のインコのぴーちゃんが、特別な存在として語りかけてきた最初の動物だった。

インコのぴーちゃんがいたのは、それはちょうど小学4年生、9歳の頃。

9歳の時のことは、はっきりと今でも覚えている。

私が孤独という大きな闇にのみ込まれた時。

孤独を実感した初めての頃だった。

恐ろしく深い闇に閉じ込められたかのようで、この世から逃げ出したくなった。

それで逃げようと思ったのだけれど、手首に当てた刃物のあまりの冷たさに驚いた。

この世のものとは思えない程の冷たさで、あれほどに冷たいものに後にも先にも触れたことはない。

芯から凍り付くような冷たさは、今でもはっきりと記憶している。

その冷たさに驚き、踏みとどまったというより、怖くて勇気が出なかった。

インコのぴーちゃんが語りかけてきたのは、その頃からだった。

私が呼びかけると、いつでも嬉しそうに体をぷくーっと膨らませて、優しく指をつついてくれた。

その後もずっと動物たちとの時間は、私の心を慰めてくれた。

けれど彼らは私よりも圧倒的に寿命が短くて、先に逝ってしまうのだった。

いつも動物を家に連れてきたのは父だった。

父も動物たちをことさらに可愛がっていた。

今思い返すと、父も孤独を抱えていたのかもしれない。

今私は動物は飼ってはいない。

飼えない状況ではあるけれど、頑張れば飼える環境にすることはできる。

でも今はあえて飼おうとはしない。

動物がいないことは、心にぽっかりと穴が空いた状態だけれど、

自分が本当は依存体質なのを知っているから、

私は私の力で、自分のバランスをとっていくことをするべきだと思っている。

そして、あの9歳の頃からずっと逃げ出したい欲求は、ずっと心の中にあった。

いつでも闇の中から死神が優しく笑いかけてくれて、その誘惑に負けそうになることもあった。

でも今は逃げたい欲求はなくなり、死神も姿を消している。

自分の人生を生きると決めてから、たくさんの変化が起きている。

変化というよりいろんなことが周りだしたし、自分も楽になっている。

今まで出会えた人たちのおかげで、私は「生きる」ことを選ぶことができた。

40を過ぎてからようやくって感じですが・・・。

「生きる」と決めるまでに時間がかかってしまったけれど、

ちゃんと生きていきますので、これからもよろしくお願いします。